オリンピック・パラリンピック招致活動 最終レポート

9月7日、いよいよプレゼンテーション最終日。そして2020年オリンピック開催地の決定をする朝。早くから小学生のように整列をし、弾丸ツアーで来た方々や関係者に見送られ緊張しながらの出発。

総会の行われる会場、ヒルトンホテルロビー。3都市のそれぞれを表す垂れ幕、世界中から集っておられるIOC委員。世界のメディア関係者、そして3都市の関係者が緊張の中にも相手の行動を注視しながらIOCの委員を捕まえては声をかけ、握手を交わし、あるいはハグをする。なんとしても東京を支持していただくために、会場に入場する直前まで汗をかいた。柔道の金メダリストである山下泰裕と通訳の方を従え、招致委員ひとりひとりに、私自身も慣れない英語で「オリンピックチャンピオン柔道ゴールドメダリストの山下だ」と紹介しながら声をかけ回った次第であります。







イスタンブールのプレゼンテーションが終わり、いよいよ総会会場に「東京」が入場し、プレゼンテーション開始です。
まず最初に高円宮妃殿下によるフランス語と英語のご挨拶がありました。大変流暢なフランス語と英語で『皇室がこのような場所で挨拶するのは初めてであります…』というお言葉ではじまり、3.11の震災に対する世界の方々からの支援についての御礼。そして、スポーツの偉大さ、スポーツへの関わりなどを丁寧にお話なされたその様は、大変気品高く、なお且つフレンドリーで素晴らしいスピーチでありました。

いよいよ招致プレゼンテーションのトップバッターとしてパラリンピックアスリートの佐藤真海さんのスピーチ。「私がここにいられるのもスポーツのおかげであります。私はスポーツによって救われたのであります…」という言葉からはじまり、終始感動的なスピーチでありました。会場を見渡すと彼女のスピーチを聴き、涙している人たちもおりました。JOC竹田会長、滝川クリステル、フェンシングの太田選手、JOC水野理事長。そして安倍総理が、『東京の想い、そして日本の想い』を伝えるためのスピーチをいたしました。その中でもパラリンピックアスリートの佐藤真海さん、高円宮妃殿下、安倍総理のスピーチはまさに抜きん出ていたように感じました。特に安倍総理の福島に対しての言葉は力強く、科学的に安全性を言い切った姿は誰もが感動に近いものを感じ得たものと思います。

IOCの委員から東京の交通網の問題、福島の安全性、オリンピックの開催のための資金面について等の質問がありました。それらの質問一つ一つに明確な説明がなされた。すべてを出し切ったと思われる「東京プレゼンテーション」が終わり、会場から退室。最後にマドリードのプレゼンテーションが行われ、その間はヒルトンホテルロビーにある大きなモニターにてその様を見届けておりました。
3都市のプレゼンテーションが終わり、一旦ホテルに戻り投票の時間を待つ。投票の時間になり総会会場に初めて3都市の関係者が勢揃いした中で、104名のIOC委員に投票の機器が配られました。まず最初に、それぞれの都市の番号を決める抽選が行われ、東京が2番。マドリードが4番。イスタンブールが8番の番号を引いた。2番、4番、8番。各委員が何番を押すのか?緊張の一瞬でありました。そして、最初に都市名を呼ばれたのはイスタンブールとマドリードでありました。この時、イスタンブール関係者の大歓声が起こり、東京の都市名が画面から消え、イスタンブールとマドリードの都市名が大きく映し出された。東京の関係者は正に青ざめた場面でありました。お互い顔を見合わせ「まさか!」という表情を隠しきれない状況でありました。

その後、ロゲ会長から付け加えて「東京と決戦する都市を決めるためのマドリードとイスタンブールによるタイブレークを行う」との発言があり、安堵したところでありました。あろうことかマドリードとイスタンブールは26票づつの同数であり、東京が42票という結果だったそうです。タイブレークの結果、イスタンブールが1票差で勝ち残り、東京との決選投票になりました。

再びIOC委員が投票機器を操作し、そしてその結果がロゲ会長のところへ届けられた。壇上でロゲ会長が大きな封筒を開封し、その中から都市名が書かれた厚手の用紙を取りだし、間をおいてその用紙を会場側に示した。書かれた都市名は「TOKYO2020」間髪いれずに会場の東京関係者は大歓声を上げ、ある者は抱き合い、ある者は小旗をちぎれんばかりに振る。そしてある者はただただ涙する様子でありました。この歴史的瞬間に立ち会えたことは、生涯忘れないだろうと思います。興奮のあまり自分がどういう行動を取ったかわからない状態であり、あとから冷静になると、若干の恥ずかしさも感じた次第であります。「これで胸を張って東京に帰れる。これで東北の復興も早まる。これで日本の経済再生も勢いがつく。何よりも、子供たちをはじめ、多くの日本国民に夢と希望と将来を与えることができるのだ!」ということを確信できた一瞬でありました。感激でありました。